こんにちは、浜松市の暮らしを豊かにする家具を届ける、マルスリビングプロダクツです。
今回は、沖縄県出身。マルスリビングプロダクツで働くために浜松市に来てくれた當山楓花にインタビュー!
建築に親しんだ幼少期から、今インテリアアドバイザーとして日々お客様と向き合う彼女の「選択」と「想い」をお届けします。
法律からインテリアの世界へ——“好き”を信じて進路を変えた就職活動
地元沖縄で地方公務員を目指していた當山が、インテリアの仕事へと舵を切った理由とは? その背景には、家族の存在と、自分自身の“興味に素直になる”という強い決意がありました。
Q. もともとは公務員志望だったそうですね?
はい。沖縄出身・沖縄育ちでそのまま地元の大学に進学。大学では法律を学んでいたので、周りの友達のほとんどが地方公務員志望だったんです。私自身も3年生くらいまでは地元で働くことを考えていましたし、両親のことや下に兄弟がいることもあって、「地元で安定した仕事に就くべきかな」と思っていました。
ただ、就職活動が本格的になってきたとき、「本当に興味があることじゃないと、長くは続かないんじゃないか」と感じるようになって……。自己分析をする中で、心から興味を持てることって何だろう?と改めて考えたんです。
Q. インテリアの世界に興味を持ったきっかけは?
原点は父の存在です。父はずっと建築関係の仕事をしていて、私は小さい頃から現場に連れて行ってもらっていました。現場の職人さんが見せてくれる模型をワクワクしながら見たり、父が手がけた建物を一緒に見に行ったりしたことを思い出して、「ああ、私もこんな風に人の暮らしに関わる仕事がしたいな」と気づいてしまって。
建築や空間に興味がある。そして私は人と話すのも好き。じゃあ、この2つが組み合わさった仕事ってなんだろう?と考えていたときに、「インテリアアドバイザー」という仕事に出会いました。
就職活動をする中で、インテリアアドバイザーという仕事があると知り、「これだ!」と思いましたね。
Q. ご両親の反応はいかがでしたか?
最初に「インテリアの仕事がしたい」と話したとき、父はとても喜んでくれました。建築に関わる父だからこそ、私が同じ世界に進むことを嬉しく感じてくれたのだと思います。
ただ、母は正直なところ不安が大きかったと思います。地元を離れて本州で暮らすこと、特に静岡のように地縁が少ない場所に行くという決断は、親として心配だったと思います。
でも、父が「一度きりの人生なんだから、やりたいことをやってみたら?」と背中を押してくれて。その言葉が決め手になりました。実は父も昔、愛知に住んでいたことがあって、静岡にも知り合いがいるので「大丈夫だよ」と言ってくれたのも安心材料になりました。
「ここで働きたい!」と思えた面接——マルスとの出会い
インテリアの仕事をしよう!と就職活動で方向性を変え、全国の企業を見ていく中で出会ったのがマルスリビングプロダクツ。「ここで働きたい」と思った理由や、地元から遠く離れることへの不安を超えて、當山がこの場所に決めた理由とは? その鍵は、出会った“人のあたたかさ”でした。
Q. 就職活動ではマルス以外にも受けた企業があったそうですね?
はい。本州のいろんな企業を見ましたし、北陸のインテリア会社からも内定をいただいていました。でも、気候の違いや雰囲気、人のあたたかさの面で、やっぱりマルスリビングプロダクツの方が自分に合っていると感じました。
実は、マルスの面接ってすごく印象的だったんです。一次面接は上新屋本店の宮田さんが担当だったんですが、最初からずっと笑顔で話してくださって、「面接ってこんなに楽しくていいの?」と思うくらい。自然と会話のキャッチボールができて、接客業としてもこういう人と働けたら楽しいだろうなと感じました。
また、社長との面接も、とても話しやすかったです。いい意味で“社長っぽくない”というか、自由でフラットな空気感のある方で、緊張せずに話ができました。
「こんなに遠くから来るのは大変じゃない?」と心配してくださって、その一言がすごく嬉しかったんです。きっと、他にも不安を抱えている学生はたくさんいると思うんですが、そういうところまで気を配ってくれる会社なんだと感じて、「この人たちと働きたい」と心から思いました。
“安定”から“情熱”へ。當山の挑戦は始まったばかり!
当初目指していた道とはまったく違う方向へ進むことになった當山ですが、それは自分の「好き」と「向いている」に正直になった結果でした。
インタビュー後編では、実際に働いてからの気づきや苦労、そして目指す将来像についてたっぷり聞きます。どうぞお楽しみに!