〜マルスリビングプロダクツ物語〜マルスリビングプロダクツができるまで①

こんにちは、浜松市で暮らしを豊かにする良質な家具との出会いをつくる、マルスリビングプロダクツです。地域の家具屋さんとして、マルス家具から始まったマルスリビングプロダクツの誕生には色々なドラマがありました。
今日は、マルスリビングプロダクツの創業ストーリーの第一弾をお届けします。私たちがどんな思いで家具やインテリアを皆様にお届けしようと思っているのか、創業ストーリーを通じて、少しでもお伝えできたら幸いです!

 

▶︎1982年:鈴木家具店から「マルス浜松店」へ

 

マルスリビングプロダクツの代表・鈴木卓也は1977年生まれ。
愛知県豊川市で3人兄弟の末っ子として誕生しました。父親は、当時愛知県豊川市で株式会社鈴木家具店を、兄弟と従業員で営んでいたそうです。

鈴木卓也が生まれた頃は、会社が大きく成長していた時期。鈴木が5歳になる1982年には、浜松に大型店を出店します。当時、浜松で有数の規模を誇る家具店としてオープンした「マルス浜松店」の誕生です。

マルスリビングプロダクツの代表・鈴木卓也は、当時のことをこう振り返ります。

[鈴木]
――当時、私の父は浜松での事業立ち上げの突撃隊長として乗り込みました。
それに伴い私の家族は浜松に家を新築し、移り住みました。私は5歳で浜松に来たので、幼少期の記憶はほとんど浜松からのことしか残っていません。母もマルス浜松店で事務としてフルで働いていたので、保育園に朝から晩まで預けられていたことは憶えています。

そんななか、だんだんと父はあまり家に帰ってこなくなりました。私は小学校高学年からは、ほぼ母親だけの片親の家庭のような環境で育ちました。小学4年生くらいの頃の話です。我が家の両親は離婚していないので、大っぴらに片親の家庭とは友達にも言えませんでした。友人にも父が家にいつもいない事をさとられないように、なんとか取り繕っていたのを覚えています。もしかしたら、離婚しているほうが友達にも話しやすかったのでは、と感じることもありますが、子どもながらに知られたくない秘密を持ち、秘密を守っていました。

鈴木は、こうした幼少期の経験を「だんだんと、私の中の肥やしになっているのだと最近気がついた」と話します。

 

“問題児”から放蕩の日々に

 

鈴木は、小学校高学年になるころから、問題行動を繰り返すようになったそうです。

[鈴木]
――あの頃を思い返すと、母親だけの片親の家庭で、しかも3人兄妹の末っ子の私。仕事も手伝っていて本当に忙しい母でした。私は母の気を引くため、「もっと僕にかまって!」という潜在意識から問題行動を繰り返していたのかもしれません。
褒められることより、怒られることの方が簡単です。悪いことをすれば、確実に母とコミュニケーションが取れる。大人になってから子どもが親の気を引くのに問題行動を取る理由の一つと学び、なるほどと感じました。

「母親の気を引きたい」という気持ちからはじまった問題行動も、次第にスリルや刺激を楽しむ様になり、鈴木はだんだん“普通の道から外れていった”と振り返ります。

[鈴木]
――中学時代も将来のことなど考えることも当然なく、日々を楽しく刺激的に過ごすことに夢中でした。そんな私でしたから、高校受験も努力せずとも受かりそうなところを受け、その高校へ進学。
高校に入ってからも、まともに授業にも取り組むことをせず、刺激を求めて遊びまわっていましたので、3年生の時は出席すらままならず、ついには留年となり、退学しました。

退学してからの1年ほどは、働きもせずめちゃくちゃな生活を送っていた自分を見かねてか、母が無理やり「マルス浜松店」でバイトをさせたのが、私にとって社会人のスタート。
母親の「フラフラしているとロクなことをしないから」が理由の「強制労働」だったのです。

マルスリビングプロダクツ創業までのストーリーはまた後日!
こちらのブログでご紹介いたします。

 

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